• 地域文化ナビ

2015年12月08日

  • [九州・沖縄]

湯布院 自然と文化のまちづくり②
二人三脚で50年

50年にわたってタッグを組み、まちづくりをリードしてきた

由布院のお神酒徳利、中谷健太郎(左)さんと溝口薫平さん(右)に

お話を伺いました。

 中谷さんのご自宅にて         写真提供:菅家 久氏


「湯布院 自然と文化のまちづくり」活動紹介

http://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_cca/detail/1982ko1.html




東京で映画の助監督をされていた中谷さんが旅館「亀の井別荘」を継ぐために

Uターンされたのは1962年。

大分県日田市で博物館の学芸員をされていた溝口さんが、奥様の実家の

旅館「玉の湯」の経営に参画するため、由布院にやってこられたのは1966年。

以来ほぼ50年、二人三脚で由布院のまちづくりをリードしてこられました。

電車やバスで由布院に到着すると、まず迎えてくれるのは

磯崎 新氏設計のお洒落な駅舎。



駅の構内には足湯や、イベントホールを兼ねた待合室があります。



駅を出るとまっ正面に、まちの人たちが愛して止まない由布岳の雄姿が
どーん!


お訪ねした中谷さんの旅館とご自宅は、観光名所の金鱗湖に面しています。

夕陽を浴びて、文字通り金色に輝いていました。


由布院の温泉湧出量は全国第三位。

広い範囲でお湯が沸くことから、まちのあちこちで湯煙が出ています。

でも、温泉と金鱗湖だけで年間400万人が訪れるという

現在の由布院人気が生まれた訳ではありません。

中谷さんと溝口さんが旅館経営に乗り出したころは団体旅行がまっさかり。

別府や熱海などの大型温泉旅館に団体客がバスで訪れ、

食事も買い物も旅館内で済ませ、昼間はバスで名所だけを見物。
個人でまちを散策する観光客の姿はまばらでした。

小規模な旅館しかない由布院では、どこも閑古鳥が鳴いていたそうです。


そこで立ち上がったのが中谷さん、溝口さんをはじめとする旅館の二代目軍団。

自分たちが目指すまちづくりの方向を探るために、1971年、

大借金をして、ドイツの温泉保養地の視察旅行に出かけました。

そして、自然の中での滞在型保養地づくりという目標を得たのです。

その後は、由布院盆地周辺の山腹の自然を守るために、

「牛一頭牧場運動」(1972年~)や「牛喰い絶叫大会」(1975年~)を始めたり、

まちに何日も滞在してくれるリピーターを増やそうと、

音楽祭(1975年~)や映画祭(1976年~)を開催したりと、

矢継ぎ早にイベントを立ち上げて大車輪の活躍です。

また、由布岳をバックにしたのどかな田園に辻馬車を走らせるという、

とても絵になる風景を演出。

当時御者役だった溝口さんは、何度も「アンアン」や「ノンノ」などの

女性誌に登場したそうです。


 現在の辻馬車              写真提供:溝口薫平氏



中谷さんと溝口さんに、これまでの50年を振り返ってどう思われますか

と伺ってみました

中谷さんは、由布院の目抜き通り「湯の坪街道」に押し寄せる観光客のうち、

一説では6割近くが中国・台湾・韓国からのお客様という現状を踏まえて、

次のようにおっしゃいました。


「俺たちが50年前に尋ねたドイツのバーデンバイラーは、

由布院を小型にしたようなとても小さな町だけど、

ドイツ人だけじゃなくて世界中から滞在客が集まっていました。

町を歩いていると、観光業じゃない普通の人が、

庭の果物、よかったらどうぞと言ってくれたのにびっくりしました。

遠くから来てくれた人を温かく迎える心が町中に根付いている。

そうなるのに100年かかったそうです。

今、由布院に来てくれている外国からのお客様を、

われわれはちゃんとお迎えできているのか。

これからどのようにお迎えするのか。

今、真剣にこの問題に向き合わないと、由布院は100年たっても

バーデンバイラーみたいにはなれんのと違うかと思います。」

溝口さんは、自分たちがやってきたことで、一番満足していることは、

まちの中に緑を増やしたことだとおっしゃいました。



                                                                 

                  


左上:亀の井別荘

中:まちの中の小道

左下:玉の湯








当時の由布院盆地は点在する民家と旅館以外はすべて田んぼ。

木はあまり生えていなかったそうです。

まるで森の中にいるような木々の緑に包まれたバーデンバイラー

の佇まいに惹かれたお二人は、自分の宿にどんどん木を植えました。

仲間や新規参入の観光業者にも、敷地内にできるだけ木を植えてほしい

と訴え続けたそうです。

こうした努力があったからこそ、現在の由布院は周辺の山々の自然と

田園風景、まちの中の豊かな緑で、訪れる人々に癒しと安らぎを

与えてくれているのでしょう。

 由布院盆地


自然を守ることと、自分たちで木や草花を植えて緑を育てること。

音楽祭や映画祭などの文化活動を育むこと。

そして、続けること。

これこそがサントリー地域文化賞を受賞された

「湯布院 自然と文化のまちづくり」の真骨頂なのだと思いました。

今年82歳を迎えるお二人は、2011年から由布院で始まった

83歳以上の水彩画全国公募展「東勝吉賞水彩画公募展 ~陽はまた昇る」

への参加を楽しみにされているそうです。


文中、〝湯布院〟と〝由布院〟が混在しておりますが、

2005年、〝湯布院町〟が合併して〝由布市〟となった後、

同地では1955年の合併で〝湯布院町〟になる以前の地名、

〝由布院〟を主に使用しています。

受賞名「湯布院 自然と文化のまちづくり」は受賞時(1982年)のままですが、

文中の地名などは〝由布院〟を使用しています。

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投稿者(島)

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