- 地域文化ナビ
2013年12月20日
- [四国]
町並みから村並みへ 愛媛県内子町
豪商の屋敷やなまこ壁の蔵が立ち並ぶ美しい町並みと、日本の原風景ともいえる里山の村並みの保存活動を続けている愛媛県内子町を訪ねました。
サントリー地域文化賞受賞者プロフィール
https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_cca/detail/1992cs1.html
内子町で町並み保存運動が始まったのは1970年代の半ば頃から。
その立役者はもちろん、保存地区に住まわれる住民の皆さん。
そして、住民の方たちの運動をリードしたのが、当時30代の役場職員だった岡田文淑さんでした。
岡田さん(左)と、
岡田さんの元部下で、
八日市・護国町並み保存センター所長の畑野亮一さん。
大正時代に建てられた芝居小屋「内子座」は、現在は町一番の観光名所になっています。
でも、30年前、老朽化してぼろぼろになっていたものを町が譲りうけたとき、「毀して駐車場にする」という意見が多かったのです。
それを岡田さんがひっくり返した。
内子座は、現役の文化ホールとしても活用されています。
国際シンポジウムに招かれた外国人のスピーカーからの評価はことのほか高く、コンサートや落語、人形浄瑠璃などの公演のほか、住民の文化活動の発表の場ともなっています。
岡田さんが作ったもうひとつのご自慢は、国道から少し外れたところにある道の駅「フレッシュパークからり」。
農産物をはじめとする、内子の産品を販売しています。
観光地としての内子の地域ブランドのお陰で、道の駅としては全国トップテンに入る売り上げを誇り、農業振興にも役立っています。
こんなものも売ってました↓。
町の蜂の巣とり名人が作った、大スズメバチの女王のハチミツ漬けです。
1980年代後半から、村並み保存に取り組んでいる石畳地区の水車まつりにも行ってきました。
"村並み保存"というのは岡田さんの造語です。
日本の原風景ともいえる美しい山里の景観と自然、暮らしの文化を守り、保存していこうという活動で、今では内子だけでなく、全国ですっかり定着しています。
石畳地区に残る屋根付き橋
(すみません。ここから先、何故か魚眼モードになり、画面がゆがんでしまっています。)
1987年に、当時3~40代の青年たち10人ほどが「石畳を思う会」を結成。
まず手始めに、以前は村のあちこちにあった水車を復活することにしました。
全員でお金を出し合い、大工さんの手伝いをして汗を流し、完成させました。
現在は3基の水車が設置され、精米などで活躍しています。
また、水車が設置されている川べりを整備して「清流園」と名づけ、毎年ここで水車まつりを開催しているのです。
今年22回目を迎え、集まってくるお客さんは2000人以上。
たった10人で始めた活動から、いまでは石畳の会のメンバーだけでなく、地域あげて取り組む手づくりのお祭りになっています。
前日お邪魔した公民館では、朝10時から夕方6時までかけて、大量に買い込んだ鶏肉を捌き、串にさす作業に追われていました。
モモ、皮、レバー、砂ずり、用意する焼き鳥はなんと2500本!
お餅は200キロつきます。
小学生の手づくりグッズや産直の野菜などの販売コーナー、中学生の和太鼓披露、PTAによる魚釣りやリース作りのイベントコーナーなどもあり盛りだくさん。
石畳地区は中山間地域にある120戸足らずの集落ですが、岡田さんによると、「この地域は、若いもんも子どもも、比較的たくさんいるから安心じゃ。」とのこと。
地域のために一生懸命な親たちの背中を見て育った子どもたちが、地域にたくさん残ったのでしょうね。
お父さんと同じように頑張る息子たちには、お嫁さんもどんどん来てくれて、そしてその人たちも親になっていって。
石畳地区には、Uターンの人たちも増えているそうです。