- 地域文化ナビ
2015年06月12日
- [東北]
地方での出版を続ける、青森県弘前市「津軽書房」
2015年5月31日、弘前にある「津軽書房」を訪問し、お話を伺ってきました。
◆サントリー地域文化賞プロフィール
https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_cca/detail/1983t1.html
春も終わりが近づき、心地よい風が吹く日曜日。
弘前駅からバスで10分。
かつて津軽地方の中心地として栄えた弘前城のお堀近くのバス停で降りました。
雲ひとつない真っ青な空と、広く裾野を引いた姿の美しさから津軽富士とも呼ばれる岩木山が何ともいえない神々しさで、はっと目を奪われます。
岩木山は「山」という漢字のごとく頭が3つに割れています
なんだか心がすっと軽やかになったところに、「津軽書房」の伊藤裕美子さんがお迎えに来てくださいました。
少し歩き、「ここです」と言われた場所は、知らなければ通り過ぎてしまうであろう民家。
実は現在、津軽書房は創設者の故・高橋彰一氏のご実家で営まれています。
津軽書房はいまもひっそりと、でもしっかりと弘前の地に根を張っているのです。
小さく津軽書房と書かれています
「津軽書房」は津軽で文学青年としての青春期を過ごし、東京で文学を志した高橋彰一氏が、その情熱を絶やすことなく燃やし続け、故郷津軽で出版を試みたことに始まります。
様々な面から出版業を地方で成立させることが困難とされる中、「書籍は編集が命、どこでやっても編集がしっかりしていれば出版はできる」との思いで、地方から独自の出版物を刊行することにこだわり、津軽出身の作家 長部日出雄(おさべ・ひでお)氏の『津軽世去れ節』をはじめ、多数の書籍を世に送り出してきました。
そんな津軽書房に1975年、伊藤さんはスタッフとして入社。
根っからの本好きの高橋さんのもとで長年、共に働いてきました。
"一代限り"と公言していた高橋氏が1990年1月に70歳で亡くなられ、津軽書房はいったん営業を終えましたが、一周忌を控えたある日、伊藤さんは高橋さんのある言葉を思い出します。
『続けてくれたら嬉しいよ』
冗談半分の言葉でしたが、高橋さんが晩年に発したこの言葉をふと思い出した伊藤さんは、「やろう!」と思います。
長部さんをはじめ、これまで津軽書房から出版された作家さん、印刷屋さんに相談すると、皆さん応援するよと温かいお言葉。
2000年3月、挨拶状を送り、津軽書房は正式に営業を再開します。
伊藤さんが写真はお恥ずかしいとのことで、高橋さんのご遺影を撮らせていただきました。今も大切に飾られています。
本当に自分にできるのだろうかという思いを持ちながらも、守り続けると決意した伊藤さんはそれから15年、今もひとりで津軽書房を営まれています。
高橋さんは決して手取り足取り教える方ではありませんでしたが、23年間傍で編集の作業を行う中で多くのことを学んだと言います。
現在は年に1~3冊程度出版されており、通常担当者それぞれ行う編集、書籍の紙選び、色の出し方、営業という作業すべてを伊藤さん一人でされています。青森県もまちの本屋がどんどんなくなり、取引できる書店数も減ってきていますが、一冊一冊を大切に、「やるからにはきちんとしたものを」との思いで書籍を世に送り出しておられます。
今年出版された大作「棟方志功の原風景」。ページをめくる手がとまらず一気に読みました。
高橋さんがいた時代にはお付き合いのなかった新しい著者との出会いもありました。新しく取り入れられるものは取り入れ、でも高橋さんから受け継いだものはしっかりと根底に持ちながら、伊藤さんは今日も大好きな本と向き合います。