- 地域文化ナビ
2015年11月20日
- [九州・沖縄]
湯布院 自然と文化のまちづくり①
牛喰い絶叫大会
体育の日の10月12日、大分県由布院で開かれた
「牛喰い絶叫大会」に行ってきました。
マスコミ各社が取材に押し寄せていました
「湯布院 自然と文化のまちづくり」活動紹介
https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_cca/detail/1982ko1.html
湯布院観光協会HP
http://www.yufuin.gr.jp/index.html
「行ってみたい温泉地ランキング」では常に上位にランクインし、
年間400万人もの観光客が訪れる由布院ですが、
今から50年前は訪れる人も少ない、ひなびた温泉地だったそうです。
でも、まちのために動きだした人たちがいました。
1970年代初頭には、「明日の湯布院を考える会」が活動を開始。
いわゆる〝まちづくり運動〟の先駆け的存在です。
そして始まったのが「牛一頭牧場運動」と「牛喰い絶叫大会」です。
由布院名物の豊後牛が放牧される緑豊かな美しい牧野
由布院温泉は周囲を山に囲まれた盆地の中にあります。
周辺の山には牧場が広がり、牛の放牧が行われています。
1960年代後半、由布院にも大規模リゾート開発の波が忍び寄っていました。
資金不足から牧場を手放す牧畜農家が増え始めたとき、
観光業と農業を営む人たちが手を携えて立ち上がりました。
都会の人たちに牛のオーナーになってもらい、その牛を農家が飼育し、
農家は謝礼として毎年、オーナーに自家製の米や果物、味噌を贈る
「牛一頭牧場運動」が始まったのは1972年のことです。
都会に住む牛のオーナーを募ったのが、観光業のひとたち。
周辺の山々の美しい自然は観光にとっても不可欠なのです。
この運動のおかげで、牧場の牛は数倍にも増え、
牛の放牧場であった広大な牧野が残されることになりました。
その牧野で、バーベキューをしながら大声を競うユニークな催しが
1975年からスタートしました。
今年41回目を迎えた「牛喰い絶叫大会」
当日はお天気にも恵まれ、11時前に到着すると会場にはすでに大勢の人。
大分県内だけではなく、福岡、佐賀、長崎から来た人たちもいました。
広々とした牧野にずらっと並べられた炭火の前に陣取り、
絶叫大会出場者用のゼッケンをつけている子どもたち
大人3500円、小学生以下2000円の入場料を払うと、
下の写真のようなバーベキューセットが手渡されます。![]()
お肉は、会場となった並柳牧場で育てられた極上の豊後牛。
おにぎりは、新米。
たいそう美味しゅうございました。
他に、お代わりし放題のビーフシチューもあったのですが、
食べ損ねて、とても悔しゅうございます。
12時から始まる絶叫大会には大人の部70人、小学生以下の部30人が参加。
希望者が殺到し、どちらの部でも抽選が行われました。
小学生以下の部には、2歳から12歳までが参加しました
絶叫大会の優劣は、声の大きさだけではなく、内容の面白さでも競われます。
大人の部よりも小学生以下の部のほうが、断然面白い!
「パパのへそくり、車の中にあるよー!」
「お父さんは銀行員なのに、どうしてうちにはお金がないの?!
お小遣い、上げてぇ~」
「俺はデブじゃねぇっ! ぽっちゃりだー!」
「俺はデブじゃねぇ」の男の子は、たまたま私たちのお隣。
絶叫してすっきりしたと、嬉しそうにお父さんに話していました。
その気持ち、分かるー。 よかったねー。
お手伝いをする由布高校の生徒たち(写真右手)
このイベントは、主催者側のボランティアスタッフによる手づくりです。
市や商工会、観光協会、旅館組合など150人余りの人たちが、
この日も朝早くから集まって設営やさまざまな準備をしたそうです。
由布高校観光コースの生徒さんたちもボランティア参加していました。
さて、イベントの終わりごろになると、お客さんよりも先に、
スタッフの人たちがぞろぞろと会場の外に出て行きます。
はてな?
沿道にずらっと人が並び始めました。
答えは、お見送りでした。
1キロ以上先の山の中まで、お見送り要員が待機していてビックリ。
さすが、おもてなし第一の観光のまちのイベントです。
みなさん、お世話になりました。
ありがとうございます。
お肉も草原の空気も美味しくて、面白くて楽しくて、とても素敵な一日でした。
註
文中、〝湯布院〟と〝由布院〟が混在しておりますが、
2005年、〝湯布院町〟が合併して〝由布市〟となった後、
同地では1955年の合併で〝湯布院町〟になる以前の地名、
〝由布院〟を主に使用しています。
受賞名「湯布院 自然と文化のまちづくり」は受賞時(1982年)のままですが、
文中の地名などは〝由布院〟を使用しています。

