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2015年12月24日
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ピッコロシアターが続ける復興支援
11月13日(金)、兵庫県尼崎市のピッコロシアターが行う招聘公演、「SENDAI座☆プロジェクト」の「洗い屋稼業」を観に行ってきました。
◆1988年度サントリー地域文化賞受賞 兵庫県尼崎市「ピッコロシアター」
https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_cca/detail/1988kk1.html
「SENDAI座☆プロジェクト」は仙台で活躍する俳優・樋渡宏嗣氏と渡部ギュウ氏が中心となり、2007年に設立した演劇プロジェクトです。
ピッコロシアターとのお付き合いが始まったのは2011年。東日本大震災で拠点としていたホールが被災し、活動が困難になっていたとき、ピッコロシアターに声をかけられ、初の関西公演を実施しました。その年上演した「十二人の怒れる男」は質の高い舞台が関西でも評判となって、以来、毎年来演しています。
まずは、今回の公演「洗い屋稼業」をご紹介。
舞台は高級レストランの地下の皿洗い場。きらびやかな上層階とは裏腹に、ひたすら汚れた皿を洗う3人の男たち。
かつてマネーゲームの世界で大儲けした新人は、格差社会の底辺を象徴するような労働に、これでもかと不満をぶつけます。中間管理職的なベテランは現実的に仕事をこなし、リストラ寸前の病気持ちの老人は必死に仕事にしがみつき、三者三様に、社会に翻弄される人間の哀しさや滑稽さが描かれます。
登場人物のセリフはシビアで耳の痛いところもあり、本当の豊かさとはなんだろう?と考えさせられることも。
物語の終盤まで辛らつな会話が続き、このまま重い宿題をもらった気分で帰るのかと思っていたら、最後にある演出が・・・!
愚かで哀れな人間も、愛すべき存在だと肯定されているように思えて、ほっと救われたような、じんわりあたたかい気持ちになりました。
(どんな演出だったかは、ぜひ実際の公演で!)
終演後、樋渡さんと渡部さんに震災当時の状況や現在の変化について伺いました。
樋渡宏嗣さん(左)と渡部ギュウさん(右)
―2011年はどんな年でしたか?
東北での活動がままならなかったので、ピッコロさんを含め、他にも呼んでくださったところにでかけ、全国5都市で公演を行いました。
あの時は仙台にいると気が変になりそうだったので、外に出て生き返ったような気持ちになりました。
こう言っては何ですが、楽しいツアーでした。
震災がなければ関西に来ることもなかったと思いますし、ある意味、自分たちの活動を見つめなおすことができました。
―それからどのようにピッコロシアターでの公演を続けてきたのでしょうか?
自分たちの舞台を観た上で、すぐに翌年もと言っていただきました。それが毎年続いています。
あの時は声をかけていただいて本当に嬉しかったので、恩返しのつもりで、続けられる限りは続けたいと思っています。
評価を受けることで自分たちのポジションもわかりますし、今は腕試しのようになっています。
―震災から4年が経過して、仙台は文化芸術に対してどんなムードですか?活動に変化はありましたか?
行政も含め、少し落ち着いて文化を立て直そうとしている空気を感じます。
我々は俳優養成所もやっているのですが、2011年には30人全員が辞めてしまいました。皆演劇などしている場合じゃないという雰囲気で。
その後、年に1人、2人という状況が続いたのですが、昨年は13人ほど希望者が来ました。
ようやく若者が夢を追いかけても良いんだという気持ちになってきたんじゃないでしょうか。
ピッコロシアター広報の古川さんも、出来る限りこの公演を続けていきたいとのこと。
「SENDAI座☆プロジェクト」の方々に会うと、地域に根ざして「ものづくり」をする勇気をもらえると仰っていました。
震災後、大小様々な文化の復興支援が行われましたが、どれもが続いているわけではありません。
そんな中、この活動が、両者にとって普段は得られない刺激や学びをもたらす交流になっているとお聞きして、とても嬉しくなりました。
震災から4年が経ちますが、これからもサントリー地域文化賞受賞者の復興支援のその後をお伝えできればと思います。