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2019年09月24日

プレミアム・ミニトーク(大阪)第3回 「関西の私鉄文化」を開催

大阪で3回目となる「プレミアム・ミニトーク」を、鹿島茂氏(明治大学教授)と原武史氏(放送大学教授)を講師にお迎えして、9月14日(土)に梅田蔦屋書店で開催しました。

「プレミアム・ミニトーク」は、サントリー学芸賞の受賞者など第一線の研究者と読者との交流イベントで、東京と大阪の書店と協力して開催しています。


イノベーターとしての小林一三

鹿島茂氏は著書日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三』の内容を紹介しつつ、阪急電鉄の創始者・小林一三(18731957)が鉄道や劇場、百貨店などの事業に取り組むにあたっての企業家としての姿勢について語りました。

三井銀行に勤めていた小林は、偶然のめぐり合わせで阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道(1907年創立)の経営にかかわることになります。当時の鉄道は都市間を結ぶものか市内電車が主流だったのに対し、箕面有馬電気軌道は郊外の公園や温泉地を結ぶもので、あまり有望視されていませんでした。しかし小林はこの沿線を歩き、また当時の統計で大阪の人口が増えていることに着目し、沿線での住宅分譲を思いつきます。そしてサラリーマンがマイホームを持てるよう、海外を参考に住宅ローンを導入しました。こうして、もともと価値のなかった土地に鉄道を敷き、分譲地をつくり、住民のための文化施設をつくりました。

鹿島氏によると、小林が一貫してやりたかったのは「階層」をつくることだったのではないかとのことです。それまでの日本に存在しなかった中産階級の核家族が住む街を、自らが経営する鉄道の沿線につくったのです。そしてこのような環境から育った最も代表的な人物が、宝塚市出身の手塚治虫だともいえる語りました。

  

思想家としての小林一三

『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』をはじめ、鉄道に着目した多くの著作のある原武史氏は、小林は彼が学んだ慶應義塾大学の創設者・福澤諭吉の影響を受けているのではないかとの考えを話しました。その福澤は大阪の適塾で学んでいる。もともと大阪と直接縁があったわけではない小林が図らずも大阪で働くことになり、福沢から受けた思想的影響を最もふさわしい空間の中で実践することが出来たのではないかとのことです。

小林が梅田に鉄道を開業した時には、わざわざ国鉄の大幹線である東海道本線の鉄道の上に線路を架けています。そして「往来(ゆきか)ふ汽車を下に見て」という歌詞を取り入れた「箕面有馬電車唱歌」を沿線の小学生に歌わせていました。多かれ少なかれ、このような中央の権力を象徴する国鉄への対抗意識が、関西私鉄の特徴であるともいえるとのことです。

  

関西の私鉄

さらに原氏によると、関西の私鉄の忘れてはならない特徴が、多くの場合、通常の鉄道(1067mm)よりも幅が広い「軌道」(1435mm)を採用していること。もともと日本では軌道は路面電車のための規格でした。細かな法律に縛られる鉄道と違い、比較的規制の少ない軌道を、阪神電車が最初に導入して高速の列車を走らせ、それを阪急も取り入れたとのことです。

また、関西では私鉄がそれぞれに独立したターミナルを持っていますが、新宿や池袋、品川、渋谷といった旧国鉄の駅に寄り添うように駅を設けている関東の私鉄とは対照的です。

阪神と阪急が10月から駅名を「梅田」から「大阪梅田」に変更しますが、もともと車内では「大阪・梅田」とアナウンスをしていました。首都圏では「東京」は一つであるのに対し、大阪では「大阪梅田」「大阪難波」「大阪上本町」など私鉄がそれぞれに自分たちこそが「大阪」だと主張しているかのようだと原氏は指摘しました。

  

現在にも通じる小林一三のビジネスに取り組む姿勢や、関西の歴史や文化について、鉄道を通じて改めて知る貴重な機会となりました。

  

「プレミアム・ミニトーク」の大阪での開催は今回が最終となりましたが、サントリー文化財団ではこれからも様々な形で読者と著者が交流できる場を設けていきたいと考えています。

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投稿者(典)

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