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2019年10月17日

プレミアム・ミニトーク(東京)第2回「アカデミック・ジャーナリズムの可能性」を開催

9月30日(月)、東京で2回目となる「プレミアム・ミニトーク」を、武田徹氏(ジャーナリスト、評論家、専修大学教授)と渡辺一史氏(ノンフィクションライター)をお迎えして、八重洲ブックセンター本店で開催しました。

武田徹氏と渡辺一史氏 20199.30 八重洲ブックセンター

今回の対談ではWeb中公新書での武田氏の連載「日本ノンフィクション史 作品篇」でも話題になった「アカデミック・ジャーナリズム」をテーマに取り上げました。この連載でも紹介された渡辺一史さんは、『こんな夜更けにバナナかよ』で大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を受賞し、『北の無人駅から』でサントリー学芸賞などを受賞されています。


サントリー学芸賞と大宅壮一ノンフィクション賞

充実した注釈や歴史的な裏付けがあるなど、学術書としての形式が求められるアカデミズムでの評価と、ジャーナリズムでの評価が現在では乖離する傾向があります。しかし武田氏は、筋ジストロフィー患者を巡るボランティアたちの姿を描いた渡辺氏の『こんな夜更けにバナナかよ』のような作品が、ジャーナリズムを評価する大宅壮一ノンフィクション賞と、学術性を評価するサントリー学芸賞を同時に受賞していてもおかしくないと考えているそうです。体験を通じて人がどのように変わっていくのかを丁寧に取材して描いた作品は、ノンフィクションだけでなく学術的にも評価できるのではないかとのことです。

渡辺氏が学芸賞を受賞したのは次作の『北の無人駅から』でした。20年間、北海道に住む中で感じ、考えたすべてを封じ込めたこの書籍は、迷宮に入り込んで抜けられないような苦しみの中で書き上げたもので、読者がどのように受けとめてくれるかわからなかった。そのため学芸賞でアカデミックな評価をもらったことがうれしかったそうです。


日本のノンフィクションの3つの軸

そもそも「ノンフィクションをどう書くか」という問題を考えるとき、渡辺氏は「柳田邦男、立花隆、沢木耕太郎」という3人の作家を例にしながら、そのスタイルを対比します。たとえば、柳田邦男氏が、事件や事故などの取材を通し、その底にある客観的な「真実」を浮かび上がらせるという「科学的なスタイル」を追求したのに対して(『マッハの恐怖』『空白の天気図』など)、立花隆氏は取材で得たデータを徹底的に分析・解析し、それを元に強烈な主張を構築していく「評論的なスタイル」を確立していきます(『田中角栄研究』『脳死』『農協』など)。

その一方で、沢木耕太郎氏は、取材する「私」を作品内に登場させ、読者が取材の舞台裏を追体験できるような「私小説的なスタイル」を模索します(『敗れざる者たち』『人の砂漠』など)。沢木氏の登場によって、それまでジャーナリズムの側にあったノンフィクションが、ぐっと文学の側に引き寄せられることになりました。ひと口にノンフィクションといっても、このような三者三様の方法論があり、後の書き手に大きな影響を与えたと渡辺氏は言います。

また、近年では社会学者の開沼博氏や、政治学者の中島岳志氏など、アカデミズムの側からノンフィクションに新風を吹き込む気鋭の学者たちの仕事も目につきます。もともと社会学における「参与観察」や、人類学における「フィールドワーク」は、ノンフィクションにおける取材とほとんど同じものであり、優れた学術論文は優れたノンフィクション作品としても通用するものだと渡辺氏は言います。実際、武田氏が『日本ノンフィクション史』で明らかにしているように、文化人類学者・クロード・レヴィストロースの『悲しき南回帰線』は、構造主義人類学の記念碑的な作品でありながらも、筑摩書房の『世界ノンフィクション全集』に収められています。本来、アカデミズムとジャーナリズムには境目はあるようでないとも言えるのです。



アカデミック・ジャーナリズム

80年~90年代のビジュアル雑誌には、編集部が特集を作るカラーページと、外部の著者がある程度の長さの文章を比較的自由に書けるモノクロページという棲み分けがあり、モノクローページの連載から生まれた本も多かったそうです。武田氏の学芸賞受賞作『流行人類学クロニクル』も『日経TRENDY』での10年にわたる連載がもとになっています。当時、フリーライターとして雑誌に寄稿していた武田氏は、締め切りに合わせてその時々の注目すべき社会の動きをレポートしていましたが、いずれ書籍にしたときには、それらがまとまって一つの時代が描き出される「同時代の歴史書」になってほしいという期待をもっていたそうです。

現在、大学でジャーナリズムについて教える立場にある武田氏は、アカデミズムが学術的に価値のある可能性を持つジャーナリズムを支える場にもなるべきだという気持ちもこめて「アカデミック・ジャーナリズム」という言葉を作った、そして、そうしたアカデミック・ジャーナリズムの重要性が理解できる読者を育てるのも大学の役割ではないかと語りました。

お二人の書籍を当日販売
様々な情報があふれる現在、ファクトに基づいて書かれた良質な作品はアカデミズムとジャーナリズムのどちら側からも求められています。当日は編集者や研究者の参加者も多く、このテーマへの関心の高さが感じられました。

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次回のプレミアム・ミニトークは、12月17日(火)に苅谷剛彦氏と小熊英二氏を招いて開催予定です。

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投稿者(典)

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